暗転




「その手はどうしたんだい?」

指先に巻いた私の包帯を見て、お父様はそう言った。

「昨日、庭の薔薇をつもうとして…。」

困ったように微笑みながら言うと、その瞳からはすぐに興味の色が失せる。

「そうか。そんなことは庭師に任せなさい。」
「はい、お父様。」

大人しい娘は頷いて、それで会話はおしまい。
気づいていますか?同じ会話を、先週もしたこと。

…気づいていようといまいと、どちらでもいいけれど。




がりがりと爪を噛む

がりがりがりがり

痛い。

噛むところがなくなる。
仕方なく指に移行する。

がりがりがりがり

不味い。
鉄の味がする。

だらだらと手首を伝う生ぬるい感触。
気持ち悪い。

それでも延々と、狂ったように噛み続ける。

「何してるんですか、お姫様。」
「…何も。」

静かに問う侵入者は、いつも通り私の騎士。
当然、彼以外にばれるようなことを私がするはずはない。

「何もってことはないでしょう。」

呆れたようにぼやきながら、彼は私の腕を拭いていく。
真っ白なドレスに飛び散った血痕まで、綺麗に拭き取る。
腕を伝った血液を、肘から逆に、指先までたどっていく。

「困ったお姫様だ。綺麗な指を傷つけて。」

ぼろぼろになった指に包帯をまくと、彼はその包帯の上から口付ける。

「どうでもいいでしょう。私の自由よ。」

私は彼から自分の手を取り戻すと、また指先をがり、と噛んだ。
真っ白な包帯に、赤が滲み出す。

「見て、綺麗な赤。なんだか、とってもリアルだと思わない?」

私の言葉に、返答は無い。
私が返事を必要としていないのだから、それは当然のこと。

「…綺麗に着飾ったお母様やお父様やお姉さまも、整った庭園も何もかも
 アンリアルだと思わない?
吐き気がするの。イライラするの。壊してしまいたいの。」

「ご自分を傷つけるのには、どう関係が?」

感情の読み取れない騎士の声。
怒っているのだろうか、私に。
それとも、嘲笑っているのだろうか。


…それも、もう考えるのが嫌になってしまった。


「わからないわ。最初は何か考えていたような気もするのだけど…。
 もういいじゃない。もういいの。もう考えるのも面倒なのよ。」
「…逃げるんですか?」

いつもより、喋りすぎたのかもしれない。
聡い私の騎士は、確かに感づいている。

「そうね。私は飛び立つと表現したいところだけれど、それでもいいかもしれない。」

気づいてはいても、彼は私の行動を妨げることはできない。
彼にそんな権限は、与えられていないのだから。

「さようなら。物分りの良い貴方、けっこう好きだったわ。」


そうして、私は窓から落ちていく。


いつも見るのとは、逆になった景色。


なんだかそれは夢を見ているような気分で


最後に見えたのは
騎士が手当てをしていた私の指先


吐き気もイライラも吹き飛ばすような衝撃が頭に響いて



その後は






































c 睦月雨兎