さくらいろ、なみだ






闇の中で、黒々と流れる川。
その傍らに堂々と咲き誇る、桜の大木。

「どうして、泣いてるの。」

偶然そこを通りかかった僕が見たものは、声も出さずに泣くいけ好かない男だった。

「…悪いか。」

目の前に立つ男は、照れる様子も、流れる涙を拭う様子もなく言う。

「悪いとか言ってないでしょ。僕は、何故って聞いたんだよ。」


――――――僕とこの男が出会ったのは、一週間程前。
ちょうど今立っているのと同じ、この桜の前だった。

「今日は、逆だな。」
「…何が。」

僕は反射的にそう返したが、本当はわかっていた。

僕とこいつが初めて会った日。
そのときは、僕がこの桜の前で泣いていたのだ。
まあ、この男とは違って思いっきり泣きじゃくっていたわけだが。

「まさか、理由まで僕と一緒なわけ?」
「理由…?ああ、失恋か。」
「失恋…!?本当に君は失礼な人だね!もっと複雑な事情があるって言ってるでしょ!」

僕が頬を膨らませると、男は馬鹿にするように鼻で笑った。

「俺はそんな理由じゃない。ただ…綺麗だったから。」
「は?綺麗だったから…って何が?」

予想外な彼の言葉に、僕は思わず首を傾げる。

「桜が、さ。」

そう言った彼を見て、僕は月明かりに照らされる桜に視線を移した。
ひらひらと舞い散る薄桃色の花弁や、金色の光に照らされる太い幹。

「綺麗、だろ?」

そう呟いた彼の頬を、また一筋の涙が伝う。

「…そうかもね。」

涙を流す彼にとりあえず頷いてはみたものの、僕はただ綺麗だとは思えない。

だって、恐ろしいじゃないか。
その下に死体が埋まっているという話を信じてしまいそうな、この桜は。

「…うん。綺麗だよ。」

改めて紡いだ賛辞は、桜に向けてじゃない。
―――――――賛美か畏怖か、それはわからないけれど。桜を見て流す、貴方の涙に向けてだよ。

心の中で思っていることを隠し、僕は呟く。

「死体が、埋まってるらしいよ。下に。」
「…そうかもな。」

それだけ会話をかわしたあと、僕達はまた桜を見上げた。

ずっと静かに散り続ける桜が、まるで君の涙みたいだ。
そう、思ったことはやっぱり口に出さず。


ただ、じっと桜の木を見つめていた。












c 睦月雨兎