第16話




「いらっしゃいませ。」

店のドアのベルが鳴ると同時にドレスを来た外国人と思われる女性が入ってきた。

それまでワイングラスを丁寧に拭いていた男性が顔を上げる。

「あ、ローレンスさん。」
「こんにちは。」

ローレンスは軽く会釈しながら挨拶した。

「今日はコーヒーですか、紅茶ですか。」

その男性は店員だった。
数々のコーヒー豆、紅茶、ワインなどが置いてある洋風の店に、店員はその男1人しかいない。
男はカウンターの中にいた。

「紅茶を…。」
「コーヒーも、そろそろきれるんじゃないですか。」
「コーヒーはまた明日か明後日に買いに来ます。」
「今日買っておけばいいのでは。」
「また、ここに足を運びたいのです。」

ローレンスはそう言って、慌てて顔を下に向けた。



ローレンスと瀬賀世和輝が出会ったのは千空に召喚されてから2日後だった。

ローレンスは、あちらこちら良い紅茶やコーヒーの店を探していた。
彼女が探しているのは、どこにでもある店ではない。
コーヒーは豆で、紅茶はティーバッグではなく茶葉で売っている専門店が良いのだ。

そんなとき、不思議な感じの洋風の店を見つけたのだ。

始めは、喫茶店かと思った。

気になって入ってみると、中にはたくさんの瓶があった。
ワインが入っているようなものから、ジャムが入っているようなものまで。

カウンターの周りにはいくつかの丸椅子がある。ショットバーのようだ。

「いらっしゃいませ。」

カウンターの中に1人の男がいた。20代ぐらいの若い男。
ローレンスに爽やかな印象を与えた。

なぜなら、ローレンスが日本人の容姿ではないのに対し、少しの動揺もも見せず、日本語で「いらっしゃいませ。」と言ったからだ。
マスターだろうか。ローレンスの格好を見て動揺しなかったのは、好印象を与えた。

今まで行った全ての店で注目を浴びた。
客だけではなく店員までもがローレンスを普通の人として見なかった。
ローレンスは召喚され、この世界で慣れるのには時間がかかるのは承知していたが、ここまで人と関わり合うのが嫌になるとは思っていなかった。

でもローレンスは、千空とまなのために良いコーヒーと紅茶を用意することを止めなかった。
彼らのために、諦めたくなかったのだ。

男は普通に接してきた。
だからローレンスも普通に接することができた。

「ここはバーですか?」
「いえ。バーのようですが、一応バールです。」

ローレンスがあまり良く分かっていない表情を見せた。
するとその男は笑顔を見せながら説明した。

「バーというのは基本的にお酒のみです。バールはコーヒーや紅茶など。ここはコーヒーと紅茶とワインを扱っています。ただカウンターに椅子があるのがバーのようですね。」
「では紅茶をお願いします。」

ローレンスは疲れていたので一休みすることにした。
しかし、椅子には安易に座ることが出来なかった。ドレスが邪魔をしたのだ。
仕方なく、テーブル席に座った。その様子を見た男は少し笑って聞いた。

「ブレンドはどうしますか?」
「ではアールグレイでお願いします。」
「かしこまりました。」

そう言うと男はカウンターの中からでて棚から瓶を取り出し、更にその中から茶葉を取り出した。
そして、冷蔵庫のようなところからポットを出し、その中に茶葉を入れ、お湯を入れた。

ティーカップに入れられた湯気の出ている紅茶はローレンスの前に置かれた。
いい香りがした。

「どうぞ」

そう言って男はローレンスの前に座り、ローレンスが紅茶を飲むところをじっと眺めた。

ローレンスがティーカップを置くと、男は無邪気に言った。

「どうですか?」
「とてもおいしいです。」
「良かった。」

男は脱力したように安心したことを態度に現した。

ローレンスにはこれまでにないような感情が芽生えた。
その男について色々知りたい。話したい。
そう思ったのだ。

「名前はなんとおっしゃるのですか?」
「瀬賀世和輝です。」
「瀬賀世さんはここで、一人で働いているのですか?」
「そうです。最近オープンしたばかりなんですよ。あなたが初めてのお客様。さっきの紅茶の感想を聞くときは、ドキドキしましたよ。」

和輝は笑顔で話した。

「あ、一応ここではマスターって呼んで下さいね。」
「わかりました、マスター。」
「ありがとうございます。」

和輝は照れたように笑顔になった。

「あの、さっきの茶葉って売ってますか?」
「一応、店では売れないんですが…。」
「そこをなんとか…お願いします。」
「では…特別に。貴女だけですよ。と言ってもお客さんは貴女だけですが。紅茶のアールグレイでいいですか?」
「あ、レディグレイと、コーヒー豆モカもお願いできますか?」
「仕方ないですね。あ、お名前、教えて下さい。」

そう言って和輝は席を立った。

「ローレンスです。」

和輝はアールグレイとレディグレイの瓶を取ってから振り向いた。

「ローレンス…さん?」
「はい、そうです。」
「名前ですよね…?」
「はい。」

(この人は私を日本人だと…?まさか…。)

「苗字は?」
「苗字?」
「名前だけじゃなく、苗字も教えて下さい。」

ローレンスは予想もしていなかったことを言われたので、嘘をつかずに正直に言ってしまった。

「ありません。」
「ない…んですか。」

いつもは冷静なローレンスだが、このときは焦った。
まさか苗字を聞かれるなんて思っていなかったから、偽名を用意していなかったのだ。
だからといって今さら苗字を言うことはできない。なぜなら、もう既に「苗字は無い」と言ってしまったから。

ローレンスが黙り込んでいると、和輝はにっこり微笑み、ローレンスの前に座った。
彼はしっかりとアールグレイとレディグレイの茶葉と、モカの瓶を持ってきていた。

「ローレンスさんは…何かたくさん物事を背負っているような気がします。」

和輝はふいにそう言った。

「何故ですか?」
「しっかりしすぎだから。何でも自分で解決しようとしている。そして失敗したら対処できないぐらい、失敗することを経験できていない。」

(どうしてここまで私のことを見透かしているのだろう…。この数十分で。)

ローレンスには和輝が分からない。なのに和輝はローレンスを分かっている。

複雑な気分だった。嬉しいような、悔しいような。けれど快かった。

「で、どれくらいいいります?」

本題に戻ったのでローレンスは気を取り直した。

「1日3杯飲んで1週間でも足りる量…って言ってもいいですか?」
「いいですよ。」

和輝はにっこり微笑み、紙包みに入れてくれた。お金はなんとか4000円以内に収まった。

ローレンスは店から出ようとしたとき和輝のほうを向いて言った。

「また来てもいいですか?」

「もちろん。アッリデヴェルチ、さようなら。」

アッリデヴェルチはイタリア語で「また会いましょう」の意。
店の名前は「OASIS」と書かれていた。意味は「安らぎの場」だった。読み方はオーアズィ。



テーブル席に座っていたローレンスの前にアールグレイとレディグレイの紙包みが置かれ、和輝は座った。

「今日はまた何か話をしてくれますか。」

和輝がそう言ったのは前に千空とまなのことについて話したからだ。
もちろん名前は出していない。「尊敬する主」と「8歳の少女」として話をした。
「尊敬する主」はアールグレイを、「8歳の少女」はレディグレイを好むというだけの話。
それだけなのに和輝は楽しそうに話を聞く。

「長い話ですが…。」
「お願いします。」
「ある日”尊敬する主”が仲間に話していない大事な話を易々と他人が仲間達に明かしてしまうのです。裏切られたと思った仲間達はある場所に向かいます。その場所は、いつもみんなで話し合う場所だったのです。”尊敬する主人”は仲間達にはいずれ言おうと思っていたのです。言えなかった理由は仲間を想う同情もあったのですが、自分への危険をさらすのに抵抗があったことにもかかわりがありました。そんなとき”ある女性”が現れました。彼女は仲間達と”尊敬する主”との仲をうまく繋ぎ合わせたのです。こうして、いっそう絆は深まりました。」

和輝は一呼吸置いてから感想を述べた。

「良い話ですね。本当にその主人はすごいと思いますよ。」

和輝は素直に言った。
ローレンスは「ありがとうございます」と述べた。

「そろそろ帰ります。」

そう言ってローレンスは立ち上がった。

「ではまた。」

ドアを開ける前にローレンスは後ろを振り返った。
和輝が微笑んでこちらを見ている。

「アッリデヴェルチ。」

ローレンスは呟いた。

「良くご存知で。」

「瀬賀世さんが言った言葉ですよ。最近おっしゃらないんですね。」

ローレンスが言うと、和輝はさらに微笑んで言った。

「大切なお客様には言わないことにしました。そんな言葉がなくてもまた会えると信じていられるので。いつでもお待ちしていますよ。」

ローレンスはその言葉を聞き、外にでて歩き始めた。

太陽が燦々と輝き、蝉が鳴いている。
もうすっかり夏になったのだった。

「ローレンス様!」

後ろから元気な声で名前を呼ばれた。
まな達だった。

ローレンスは足を止め、彼等を待った。

「誰だよこの人!」

見たことの無い顔の小学生くらいの男の子がローレンスを指して言った。

「ローレンス、こいつは栢山悠夜。事情は後で説明する。」
「で、明里紗さんがいないのはバイト探しのため。ね?錬太君。」
「うん。」

本当にこの人達が好きだとローレンスは思った。
こういう日常が楽しいと心から感じた。

そして自分の招待を知らない一般人、瀬賀世和輝。
彼もローレンスにとっては大きな存在となっていた。




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© 浅海檸檬