第27話



「昼食ができました。」

ローレンスの言葉に、錬太と華恋は一緒に部屋を出た。
階段を降りると明里紗が千空に文化祭の原稿を渡しているところだった。

「もう書いたんですか?」

華恋は驚く。
華恋と錬太は調べるのに精一杯で、原稿はまだ書いていない。

「この家の本は小さい時から読んでるしね。まとめるのは楽だったよ。」

明里紗が何でもないことのように笑って言う。


少しすると、ローレンスが昼食を運んできた。
今日の昼食は、ローレンスが作ったスープとパン。

「「「いただきます。」」」

皆で手を合わせて食べ始める。
錬太と華恋はチラチラとお互いの顔を見て、やがて錬太が口を開いた。

「あのさ、」
「何だ?」

すぐに千空が反応する。
皆の視線が自分に集まっていることを感じながら、錬太は言った。

「僕と華恋ちゃん、付き合うことになったよ。」

少し考えるような間をとった後、千空は言う。

「あ、それは…おめでとう。」

間をとったのはどう返事すればいいのか迷っていたようだ。

「おめでとう。」
「おめでとうですー。」
「おめでとうございます。」
「おめでとう!」

次々と、皆が笑顔で錬太と華恋を祝福する。
錬太と華恋は少し困ったように、そして照れたように顔を見合せて笑った。



盛り上がりに一段落つくと、明里紗は席を立った。
今日のバイトは昼からなのだ。

「じゃあ行ってくるよ。晩飯までには帰るから。」

明里紗はバイクのヘルメットを持って玄関から出て行った。

千空は明里紗の言葉に安心していた。
明里紗はバイト先で夕食を食べることになれば、忙しさで食事を抜きかねない。

実際に、先日の昼食も抜いていたことを千空は知らなかった。




「こんにちはー。」

明里紗は挨拶をして店に入った。
そして、すぐに従業員の服に着替える。

明里紗の働く店は昼から開いている居酒屋だが意外と客は多い。
喜ぶべきことではないが。

「いらっしゃいませー。」

扉の開く音に、反射的に挨拶をすると、相手は常連の客だった。

染めた黄色の髪に、オレンジ色のメッシュ。
いつも怒っているような態度のせいで25という年齢よりも幼く見える女。
もう大学は卒業して就職しているらしいが、何の職かはわからない。

「こんにちは、響さん。こんな時間から酒かい?仕事は?」

明里紗はその客、清水響に敬語を使わない。相手も気にしてないからだ。
初めて顔を合わせた時に意気投合した2人は、客と店員、というより友達のようになっていた。

「うるさい。大きい仕事が入ったから今日は休みなんだよ。」
「今日も彼氏と喧嘩かい?」

明里紗は呆れたように言う。
響がこの店に来るのはだいたいそれが理由だった。
喧嘩というよりは一方的に響が怒って出てきているようだが。

そのうち、いつも通り彼氏が迎えにくるだろう。

「で、あんたはどうなんだ?幼馴染に告白されたとか言ってただろ?」
「まぁ、だんだん元通りって感じだね。」

響が酒を飲みながら言った言葉に、明里紗は響の隣に座って水を飲みながら返事する。
一応、千空の言いつけに従っているのだ。

――酒は絶対に飲むなよ。

バイトが決まったとき、千空に言われた言葉だった。

「良い子なんだろ?だったら別にいいじゃないか。」

響は簡単に言った。
明里紗は、響のこういうところが好きだった。
さっぱりしていて、自分よりも大人っぽいと思うときもあれば、子供っぽいと思うこともある。
周りにこういう話を相談できる人はあまりいないため、明里紗はこうやって響と話すことができるのが有難かった。

「つい最近まで弟みたいに思ってたからね。そう簡単にはいかないんだよ。」 「ふーん?」

よくわかってないのだろう。響は酒を飲みながら相槌をうつ。

そのとき、店の扉が開いた。

「こんにちは、春日さん。」

明里紗の言葉に響は体を扉と反対の方向に向ける。

来たのは響の恋人、春日光だった。
光は響の居る場所まで来て、なだめるように言う。

「僕が悪かったよ、響。だからはやく家に帰ろう。」

響は顔をそらしたままだ。

「今日は何のことで喧嘩したんですか?」

明里紗の問いに光は溜め息をついて答えた。

「目玉焼きにソースをかけたら響が怒ってしまって。」
「甘い玉子焼き、味噌汁の具で次は目玉焼きですか。」

明里紗は呆れたように言った。

この2人は同居していて、家事は光がしている。

その理由は、光の腕だ。
光によると昔仕事で失くしたらしく、左腕が無いのだ。

当然仕事につくのは難しく、響が働き、光が家事をするという世間とは反対の役割になっていた。

しかし、響は文句が多い。
そもそも沸点が低すぎるのだ。

「響、次からは醤油にするから。な?」

続く光の言葉に響は、渋々といった様子で立った。

「じゃあ、俺は帰るから。またな、明里紗。」 「おさわがせしましたー。」

こうして2人は帰って行った。

結局2人は仲がいいのだ。
優しい光と、照れ屋な一面を持つ響。
きっと、バランスが丁度良いのだろう

穏やかな気持ちでそれを見送って、明里紗は仕事に戻った。
明里紗の元に穏やかでない客が来るのは数時間後のこと。



夜の6時頃、日が暮れて、人もだんだん増えてきていた。
明里紗も忙しく、客の元に酒を運んでいく。

そのとき、扉の開く音。

「いらっしゃいま…」

扉に目をやった明里紗の手から酒とコップが落ちて大きな音をたてた。

「母さん!?」

男連れで入って来たのは、派手な格好をした女。
目元が少し、明里紗に似ているかもしれない。

「…?あぁ、明里紗か…。」

女は髪をかきあげ、眉をひそめて言った。
明里紗は、その言葉や態度に頬を紅潮させる。
そして、つかつかと歩み寄ると、女の胸倉を掴んで叫んだ。

「どこいってたんだよ、あんた!あたしと親父のこと捨てて!」 「別に。どこでもいいでしょ。」

女は明里紗の腕を払って続ける。

「いいの?明里紗。あんたバイトでしょ?こんな騒ぎ起こしてさぁ。」

見ると、周りの客たちは呆気にとられたように見ている。
これが大騒ぎになって、野次馬が集まってくるのも時間の問題だった。
明里紗は唇をかみしめて、従業員の部屋に入った。
そして、急いで着替えると、裏口から店を出る。

店を出た明里紗は、病院に向かって走っていた。
父親の居る病院へ。
強く噛みしめた唇からは血が流れ、口のなかには鈍い鉄の味が広がっていた。



「お帰りです、姐御ー。」

夜8時に家に帰った明里紗を出迎えたのは、まな。

「ただいま、まなちゃん。」

明里紗はいつもどおりに言ったつもりだが、まなは異変を感じたようだった。
心配そうな顔をしているまなと共に、明里紗はリビングに向かう。

テーブルの上には夕食が既に並んでいた。

「遅かったな。何かあったのか?」

心配そうに自分を見る千空を見て、明里紗は苦笑する。

「あたしはそんなにわかりやすい顔をしてるのかい?」 「だって顔色悪いですよ?」

錬太も言う。

「とりあえず食べながら話すよ。」

明里紗は席に座ると、さっさと食べ始めた。

「それで、何があったんですか?」

華恋の問いに明里紗は苦々しげに答える。

「母さんが店に来たんだよ。」 「それがどうしたんだよ?」

悠夜が不思議そうに言う。

確かに明里紗の家庭を知らない者はそう思うだろう。
明里紗は溜め息をついて、話し始めた。
9年前の、話を。




「明里姉!今日も稽古してよ!」

明里紗の隣の家に住む男の子、千空が、明里紗の元へ走って来た。

薄いクリーム色の髪に灰色の瞳の千空が日本人のわけはなく、父親がイギリス人、母親は日本人だ。
そう、ここはイギリス。そのイギリスに純日本人の明里紗が住んでいるのは父親が原因だった。
千空の母親と明里紗の父親は幼馴染だ。
だから、千空の母親が結婚してイギリスに行った時、既に結婚していた明里紗の父親は子供と妻を連れてイギリスに移住することに決めたのだ。

「千空は本当に稽古が好きだね。」 「うん!母さんと父さんは魔法を悪用する奴等と戦っているから、俺も強くなるんだ!」

千空と明里紗は小さいときから親に魔法を教えられるという珍しい育ち方をしていた。

だが、明里紗の母親だけは魔法の存在を信じていなかった。
それも両親の不仲の理由の1つだったのかもしれない。

明里紗の家では毎晩、両親が喧嘩をするようになっていた。
イギリスに来てから仕事がうまくいかず、不機嫌な父親。
毎日昼から若い男と酒を飲みに行く母親。

明里紗の楽しみは、千空と遊んだり、千空に稽古をつけることだけだった。

「仕方ないね、ちー。じゃあ、稽古のときは、あたしのこと何て呼ぶか覚えてるかい?」 「師匠!」

明里紗はまだ子供だった。だから、信じていたのだ。

楽しい日は永遠に続き、両親もいつか仲直りしてくれると。

しかし、その楽しい日々は、その日の夜で終わりを告げる。

「父さんと母さん遅いなぁ。もう夜ごはんの時間だ。」
「そうだねぇ。」

夜8時頃、千空と明里紗は、千空の家で両親を待っていた。
千空の両親だけではない。明里紗の両親も、まだ帰ってきていない。
母親はいつも遅いが、父親はもう帰ってきているはずの時間だった。

玄関のチャイムが鳴った。

「はい。」

明里紗が出ると、相手は知らない男の人。

「世界魔法協会のものですが。」

――もしも私たちに何かあったら、世界魔法協会の人が来るから、その人の言う通りにしなさい。

千空の母親から言われた言葉が頭をよぎる。
いつも優しく笑っている人がとても真剣な顔で言っていたのを、明里紗はよく覚えていた。

「何かあったんですか?」

自分が来たことの意味を理解している様子に少し驚いた様子で男は言った。

「よくわかったね。実はそこの千空君の御両親と、君の父親の話なんだが。」

明里紗はそこで千空を呼んだ。千空の両親の話と男が言ったからだ。
男が悲痛な面持ちで言った。

「千空君の御両親は黎明の天秤という組織、私達の最大の敵と戦っていてお亡くなりになった。」

明里紗は衝撃を受けた。

家事を放棄した母親の代わりに昼食を作ってくれたのは千空の母だった。
千空は何があったのかわからない様子で首を傾げている。

わかっていないわけではないだろう。千空は賢い。”死”の意味ぐらい知っている。
ただ、理解できないだけだ。両親が死んだとはどういうことか。

男の言葉は続く。

「そして君の父親は、千空君の御両親と一緒にいて巻き込まれた。」
「死んだんですか?」

心の中とは裏腹に、冷静な言葉を紡ぐ口。

「いや、無事だ。だが、意識が無い。目覚める可能性は低い。」

明里紗の父親は植物状態になってしまったのだ。

「奴等が君達を狙っている可能性がある。君の母親と共に日本へ飛んでくれ。」
「ちーは?」

明里紗は言った。
色々なことが突然起こって、状況はよく分かっていなかった。
しかし、千空をイギリスに置いて行ってはいけないと思った。

「君の母親に一緒に連れて行ってくれるように言ってある。
はやく荷物をまとめるんだ。君の母親が空港で待っている。」




「それで、あたしたちは日本に来た。
でも、日本に来た途端、母さんは、あたしと親父を捨ててどこかに行った。
『もうこんなわけのわからないことは嫌だ。』って言ってね。」

そこで、明里紗の話は終わった。 千空は苦々しげに言う。

「あのとき、俺は何もできなかったな。俺を狙って来た魔物と戦ったのも明里紗だった。」
「まぁ、家のことは千空にまかせてたからね。」

錬太が2人の会話を遮るように言った。

「あの、世界魔法協会って何ですか?」

「世界魔法協会は、トレゾールを守ろうとする魔術師たちが加盟する。
主に加盟者に何かあった場合、家族に報告する。
明里紗の場合は、俺の両親と親しかったから、魔力は無いが、加盟していたんだ。WMSと呼ばれることもある。」

千空の答えに錬太が納得したように頷くのを見た後、明里紗は立ち上がった。

「もう遅い。千空は訓練。それ以外は寝た方がいい。明日、起きられないよ。」

明里紗の言葉に千空が立ち上がり、階段を上っていく。

続いて錬太、華恋、悠夜、まなも階段を上り、ローレンスは食器を片づける。

今、自分を捨てた母親はどうしているだろうか。

明里紗は思い、感傷的になっている自分に苦笑して歩きだした。




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© 睦月雨兎