第31話



「パーン!俺は一回家に戻るから、お前レグルスに連絡いれとけよ!」

空き地から少し離れた場所まで逃げた後、フォーマルハウトはパーンに命じていた。

「家…?」
「着替えるんだよ!見ろ、お前の犬の血で背中一面真っ赤だろうが!」

首を傾げたパーンに、イライラと叫ぶように説明したフォーマルハウトは、同じく血に汚れたパーンの服を見て舌打ちする。

「お前も帰りたかったら帰れ。今は1時だから…2時にはつくってレグルスに言っとけ。
じゃあ俺は迎えが来たから帰る。」

フォーマルハウトは次々と命令口調で用事を言いつけると、光の運転する車に乗り込んでいく。
残されたパーンは、公衆電話を探してフラフラと歩いて行った。



「響、どうだった?」

車を運転する光が振り向くと、響は不機嫌な顔でシートに凭れていた。
シートに、ベッタリと血がつく。

「明里紗がいた。」
「…え?」

その血を掃除するのは誰だと思ってるんだ、などと小言を言おうとしていた光は、その言葉に口の動きを止めた。

「明里紗がいたんだよ。明里紗はフルヴリアの仲間だったんだ。」

響の眉間に皺が寄る。

「それで、戦いのほうはどうだったんだ?」

光が気まずい話題を誤魔化すように聞いた。
響の皺が、深くなる。

「大失敗だ!パーンの犬はほぼ全滅。俺も相手を始末する前に一般人に邪魔された!」
「…そうか…。」

響の機嫌をこれ以上損ねないように、光は慎重に相槌を打つ。
しかし、バックミラーの中の響は何故か憤怒ではなく、陰鬱とした表情を浮かべていた。

「悪い、光。」

響の口から、唐突に謝罪の言葉が出る。

「光がフォーマルハウトとして動いてたときは、もっと地位も上だったのに。
俺が受け継いで、地位は下がった。今回の仕事で成功すればもっと地位も上がると思ったんだけどさ…。」

響は、そのことを密かにずっと気にしていたのだ。
光は、もともと黎明の天秤にフォーマルハウトとして所属していた。
しかし、戦いの中で片腕をなくし、その座を響に譲ったのだ。
予想外の言葉に、光は微笑んだ。

「いいんだよ、響。」

バックミラー越しに、光と響の目があう。

「僕はもう、黎明の天秤のメンバーじゃない。この腕じゃ、戦えないし。」

光の左腕があるはずの場所。そこには何もなく、ただ服の袖が揺れていた。

「地位なんてもうどうでもいいよ。響に怪我がなくて、無事に帰ってきてくれるならね。」

響は照れたように笑って、噛み付くように言う。

「ほら、早く家に帰るぞ!もう2時まで20分しかない!」
「はいはい。」

光も笑って返事すると、車のスピードを上げた。



「皆そろったかな。」

いつもの会社の会議室で、アウトラリスが確認するように言った。

「最近、夜中の召集多くない?」

スピカが欠伸をして言った。

「まぁ、今日は仕方ない。フルヴリアと戦った報告なんだからね。」

アンタレスが取り成すが、アルデバランが茶化すように続ける。

「聞く価値のある報告だったら良いけどなぁ。まさか、呆気なく負けてきたんじゃねぇだろうな?」

アルデバランの言葉に、フォーマルハウトはただ睨み付けるだけだった。
負けてはいないが、勝ってもいないからだ。

「報告してくれるかな、フォーマルハウト、パーン。」
「…結果的に言うなら、引き分けでした。」

そこで言葉を切ったフォーマルハウトはパーンを睨む。

「先に行かせたパーンの犬達は全滅。その次に、俺と一緒に戦った犬達も全滅。
俺は、もう少しのとことで犬の血で滑りました。」

会議室にスピカの笑い声が響いた。

「格好悪い!滑ったなんて!」
「でも、それじゃあ負けでしょ?」

アフロディナーがからかいではなく、純粋な疑問といった調子で問う。

「続きがあるんだよ!」

フォーマルハウトが叫んだ。
スピカの笑声が止む。

「俺は相手の隙をついて始末できそうだった!身体中の水分を抜いてやれるところだったんだ! でも、そこで一般人に邪魔された。警察を呼びやがったんだ!」 「…わかった。」

アウトラリスは頷き、フォーマルハウトを座らせた。

「パーン、何か言いたいことは?」

アウトラリスの問いにパーンは立ち上がろうとしたが、フォーマルハウトの顔を見てまた俯く。

「何も…。」

そして、服についた魔獣の血を見つめる。
魔獣を抱き上げたときに、ついた血だった。
パーンはまだ着替えていなかったのだ。

「嘘ね。」

扉のほうから、女の声がした。

「ようこそ、傍観者。久し振りだね。」

アウトラリスは冷静に対応する。
扉から入ってきたのは、例の妙に露出の多い戦闘服を着た聖茄だった。

「こんばんは。確かここでは…天秤座だったわね?」
「そうだよ。アウトラリスと呼んでくれ。本名は言わないでくれるとありがたいな。」

友人のようににこやかに会話をする2人に割り込むように、ガンマが静かに問う。

「嘘とは?」
「何か言うことがあるでしょう?ってこと。ねぇ、山羊座のパーン。」

聖茄が笑いながら問うが、パーンは黙ったままだ。

「教えてくれないかな?傍観者。」

アウトラリスの言葉に、聖茄は近くの椅子に勝手に腰掛けて話し出す。

「フォーマルハウトは神咲明里紗と知り合いだった。そうでしょ?」

聖茄の問いにパーンは小さく頷いた。

「裏切りか?」
「そんなわけないだろう!」

ケイローンの言葉に、フォーマルハウトは憤りをみせた。

「偶然知っていただけだ!俺は、あいつがフルヴリアの仲間だなんて知らなかった!」
「それは変だわ。だって会議で報告したもの。」

フォーマルハウトは慰音の言葉にぐっと黙った。

「聞いてなかったんでしょ?」

聖茄がくすくすと笑う。
フォーマルハウトは聖茄の言葉を肯定することも否定することもできなかった。
肯定すれば、重要な報告を聞いてなかった自分の完全なミスになる。
しかし、否定すれば自分が裏切ったということになってしまうのだ。
悔しそうに、フォーマルハウトは唇を噛む。

「もういいよ。」

アウトラリスが口をはさんだ。

「フォーマルハウトとパーンはそれぞれ報告書を書いて提出すること。
その後、パーンは薬の効果の報告。フォーマルハウトは自宅謹慎だ。」
「…はい。」

パーンは頷き、フォーマルハウトは唇を噛みしめたまま返事をした。

「それで?傍観者。用は何かな。」
「別に何も?ただ、その2人はちゃんと報告できないんじゃないかと思って。」

聖茄の言葉に、スピカとアルデバランが嘲笑うように笑声をあげる。
2人の人を馬鹿にする趣味は、聖茄のからかい癖と共通するものがあるようだ

「親切ね。ついでにフルヴリアの弱点でも教えてくれるとありがたいわ。」

アフロディナーがふざけた様子で言うと、聖茄はにっこり笑った、

「そうね…あっちの弱点は仲の良さ、かしら?ありきたりだけど、ね。
あの子達は、不利な状況に陥ったときに仲間を切り捨てる覚悟なんてできないでしょう?
それに…きっと情に流されやすい。」

聖茄の視線を向けられたイオタは少し身体を強張らせる。
しかし、他の者が気付くことは無かった。

「じゃあ、私は帰るわ。面白い戦いを期待してるから、頑張ってね。」

聖茄は小さく笑うと窓から身を躍らせる。
覗き込んだ窓の下には、もう聖茄の姿はなかった。

「では、そろそろ終わりにしようか。」
「フルヴリアはどうするの?もう全員殺しちゃう?」

アウトラリスにスピカが軽く言った。

「いや、トレゾールの場所を知ってるかもしれないフルヴリア達はまだ殺せない。
 …しばらく様子を見よう。」
「そう。もう終わりよね?帰る。」

アウトラリスの決定に、不満げな顔をしてスピカは帰っていった。
続いてアウトラリス、レグルスが出て行き、アルデバランとガンマ、フォーマルハウトと次々皆は帰っていき、会議室に残ったのはケイローン、アフロディナー、パーンの3人になった。
ケイローンが大きく溜め息をついた。

「幸せが逃げるわよ?」
「科学的根拠の無いことを言うな。」

アフロディナーの言葉に、ケイローンは素早く返答する。
既に慣れたやり取りなのだ。

「溜め息の原因は、傍観者?」

真剣になったアフロディナーの言葉に、ケイローンも真剣に言う。

「そうだ。敵でも仲間でもないなんて、信用できない。」
「ケイローンは少し心配性なのよ。」

アフロディナーがケイローンの眉間の皺を指で軽く弾いた。

「昔からそう。実験のときも凄く神経質だし。もっと楽観的に生きればいいのに。」
「お前が大雑把すぎるんだろう。この前も薬を間違って混ぜた。」
「良いじゃない。それで新しい薬ができたんだから。結果良ければ全て良し、よ。」

そこで、ずっと黙って見ていたパーンが、おずおずと口を開いた。

「あの…、薬の報告…。」
「あぁ!それで残ってたんだった!」

本当に忘れていた様子のアフロディナーに、ケイローンは呆れた目を向ける。
そして、真剣な顔になってパーンに向き直った。
それを見て、アフロディナーもメモする紙を取り出す。

「新しい薬の性能は確かに上がってた。でも…。」
「何か問題が?」
「知能が下がっていたみたい…。防御結界を張るどころか、自分の身を守るための後退もしようとしなくて…。」
「それで簡単に倒されちゃったのね。」

アフロディナーは頷いた。
ケイローンも納得した様子を見せる。
2人はフォーマルハウトの報告を聞いて、疑問を持っていたのだった。
パーンは、動物を操作する魔術師。
しかし、この黎明の天秤には魔獣を召喚する魔術師がいないため、普通の犬を薬で強化して使っている。
その薬を作るのがこの2人だ。
以前作った薬を改良したはずなのに、魔犬は前よりも簡単に倒された印象が拭えない。
2人が疑問を持っていたのはそこだった。

「次の薬は知能も考慮してみよう。」

ケイローンはそう言うと立ち上がって部屋を出て行った。
さっそく実験をするのだろう。

「また徹夜かぁ。肌に悪いんだけどなぁ。」

アフロディナーも立ち上がり、後を追う。
と、パーンのほうに振り向いた。

「まだ帰らないの?」
「もう少しここにいたい気分だから…。」

パーンが小さく呟くと、アフロディナーは頷いて部屋を出て行った。
小さい音をたてて、閉まる扉。
パーンはそっと電気のスイッチを押した。
暗くなった部屋の中で、パーンの姿が月明かりに浮かぶ。

「自分がどうしたいかなんて分からないよ、フォーマルハウト。
自分の意思なんて持てない…。」

部屋の中で1人、フォーマルハウトの言葉を思い出すパーン。

「私はそんなに強く生きられない…。」

服についた血の染みを見つめ、パーンは再び自分の動物達に謝罪した。

「ごめんね…。」

血に汚れた白い肌を伝う、透明な涙。
それを、冷たい月が青白く照らした。




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© 睦月雨兎