第57話





「いらっしゃいませ。」

Ballの扉を開くと、いつもどおりの一輝の声。
ローレンスも、すぐにいつもの席についた。

「こんにちは、マスター。」
「あぁ、ローレンスさん。…今日はどうしたんです?」

一輝は首を傾げる。
紅茶はつい先日売ったばかり。
いつもの消費ペースならまだ無くなりはしないはずだった。

「実は、主の仲間が2人増えたもので。」
「なるほど。」

仲間、という非日常的な単語に、一輝はもう何の疑問も浮かべない。

「では、今回はいつもより多くしておきましょうか。」

しかし、ローレンスはその言葉に首を振る。

「いえ、あの…申し上げにくいのですが」
「何ですか?」

ローレンスは言い淀み、申し訳なさそうな顔で答えた。

「実は…その方々が紅茶よりも日本茶を飲みたいとおっしゃったので今から店を探そうと思っていたところです。」
「そういうことですか。」

ローレンスが言いづらそうにしていた理由を理解し、一輝は頷く。

「そういうことでしたら、いいお店を紹介しましょうか?」
「誰か、知り合いが?」
「いえ、知り合いというほどではないんですけどね。一度、行ったことがあります。良い店ですよ。」
「ありがとうございます。とても、助かります。」

そう言って、ローレンスは溜め息をついた。
そして思い出すのは、昨日の夜の出来事。





「慰音と璃音の部屋は同じでいいか?隣でなくても良ければ、2部屋用意できるんだが。」
「同じでいいわ。」

千空の言葉に、慰音は即座に返事する。

「璃音はどうだ?」
「問題ない。だが…」

珍しく注文をつけようとする璃音に、全員が注目する。
そして、その口から放たれたのは予想外な言葉だった。

「その部屋に畳はあるのか?」
「…いや、ないが?」

一瞬言葉を失った千空はそう返答する。
当然だ。
いくら玄関がある規格外の洋館であっても、ここはあくまで洋館。

「あら、ないの?困ったわねぇ。」
慰音は手を頬にあてて、おっとりと首を傾げる。

「あの…畳ってそんなに大事ですか?」
思わず口を挟む錬太。

「慰音と璃音ちゃんは畳じゃないと眠れないの。」
慰音が困ったようにそう言うと、華恋は頷く。
「それは大変ですよね。」
華恋も枕が代わると眠れない体質なので、2人の気持ちがよくわかるのだ。
そして、たかが寝床の問題とはいえ睡眠不足は戦闘に大きな悪影響を及ぼす。

「…わかった。畳がある部屋を一室作る。それでいいか?」
千空は溜め息をついて提案した。

「嬉しいわ。ありがとう。」
慰音は素直に喜んで提案をうける。

しかし、その慰音の次の言葉は再び千空に溜め息をつかせることとなった。
「ついでに言っておきたいのだけど、慰音と璃音ちゃんは紅茶があまり好きではないの。」
「ボクも一緒ですー。」
そう言うのは、オレンジジュースを飲んでいるまな。
「お取り替えしましょうか?」
ローレンスが、オレンジジュースのパックを持って立ち上がる。

しかし、璃音が首を振った。
そして、慰音が答える。
「ジュースもあまり好きではなくて…。」
「じゃあ何がいいんだい?」
明里紗が問うと、2人は声を揃えて言った。

「「お茶。」」

「ああ、それぐらいなら家に…。」
千空のその言葉を遮ったのは、全く悪びれる様子のない慰音。

「まさか、市販のお茶なんか出したり…」
しないわよね?と無言の主張。

千空は深い溜め息をついて、諦めたように言った。
「ローレンス、明日にでも良い茶葉を探してきてくれ。」




はぁ、と
思わず溜息をついたローレンスに、一輝は目を丸くした。

「珍しいですね、溜息なんて」
「…主が、心配で」

つい先日まで敵だった者を仲間にすると言い出した主。
心優しい主や、その仲間達が敵を殺せるはずもなく、これが望ましい展開なのだろう。
しかし

「何故か、大変なことが起こりそうな気がして、恐ろしいのです。」

俯いて呟くローレンス。
何か、事態が大きく動きそうな胸騒ぎ。
最終的に生き残るのは、主か、それとも敵か。

「きっと、大丈夫ですよ。」

もっとも、僕には詳しい事情はわかりませんが。

柔らかくかけられた言葉に、ローレンスは顔をあげると小さく笑った。
「そうですね、きっと主なら大丈夫です。」

そして、一輝からの紹介状を手に席をたつ。

「では、また」
「」


いつもどおり見送った一輝の表情は、ローレンスの青いドレスが扉の向こうに消えた瞬間、一変する。

無邪気に楽しむような、それでいてどこか嘲笑うような表情。

「溜息、か…」

召喚された当初とは明らかに違い、感情表現が豊かになったローレンス。


「君はどんどん人間らしくなるね、アレット」


淋しげな笑みと共に口にされたのは、一体誰の名前か。

「残念ながら、君の主は大丈夫ではないんだよ」

もう淋しさは消えた笑み。



彼はもう、完全にアウストラリスだった。








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c 睦月雨兎