番外編 「癒しの雨と傷」





「何してるの?風邪ひくよ。」

優しい言葉と共に差し出された傘。

響が初めて光と会ったのは、雨の日の暗い路地裏だった。



清水 響の両親は一般人。ごく普通の家庭だった。
しかし、その家庭に響は馴染めずにいた。

「今日も友達と遊んでくるから遅くなるよ。」

(嘘だよ。俺には友達なんていない。)

明るい表情に隠された響の内心には気付かず母親は呆れた顔で響を見る。

「また?少しは勉強もしなさいよ。」
「はーい。行ってきまーす。」

普通の女の子の様に返事をして、響は家を出る。
そして、扉の前で見送る母親に気付かれないように小さく溜め息をついた。

やがて、母親が家に入ったのを確認してから向かうのは繁華街。

学校に行く意味なんて無かった。
勉強なんてくだらない。どうせ学校でしか役に立たないのだから。

友達は、幼稚園のときから中学1年の今まで出来たことが無かった。

幼稚園のとき、同じ組の女の子が響にくれた小さな花。
その花は響が触れた瞬間、枯れてしまった。

そして、それをきっかけに響は日常に馴染めなくなったのだ。

「くそっ。」

響は悪態をついて空き缶を蹴り飛ばす。

響の心の中は常に、よくわからない感情に占められていた。
怒りに似ていて、怒りではない感情。
何かに腹を立てているようで、何に腹を立てているのかわからない。
リストカットも試してみたが、痛いだけで何も変わらなかった。
親に見つからないように自分には似合わない、明るい色のリストバンドで隠した。

「くそっ。」

再び小さく叫んで店の扉を蹴ったときだった。

「君、学校はどうしたんだ?」

後ろから声をかけられ響がうるさげに振り向くと、後ろにいたのは警官だった。
響は慌てて身を翻し、走りだす。

「君!待ちなさい!」

警官の言葉には従わず、響は走り続けた。
中年太りの警官を振り切るのはたやすく、すぐに姿は見えなくなった。
しかし、響は走り続けた。力尽きて、足が動かなくなるまで。

「はぁっ はぁっ」

響が転んで倒れたのは、どこかの暗い路地裏だった。
走っている途中に引っ掻いたのか、腕には無数の傷。最後に転んだため、膝も怪我していた。

「何やってるんだろう、俺。」

こんなに走る必要は無かったのに。ただ、あの警官から逃げられればよかったのに。
自分は、何から逃げようとしていたのだろうか。

ポツリ アスファルトに暗い染み。

ポツリ 響の肩にも1つの染み。

やがて、雨は本降りとなった。
しかし、響は仰向けに倒れたまま動かなかった。
動けないのか、動かないのか、それは響にもわかっていなかった。
このまま雨に打たれていたからといって、どうせ死ぬわけでもない。

その時、傘が差し出されたのだ。

「何してるの?風邪ひくよ。」

心配そうに言われた優しい言葉。他人からそんなことを言われたのは初めてだった。
きっとこの男も自分の不思議な力のことを知れば、自分を避けるだろう、という諦め。

そして、もしかしたら受け入れてくれるかもしれない、という期待。

この人なら、そう思える優しい雰囲気を男は持っていた。

「うわ、びしょ濡れ。しかも怪我してるね。大丈夫?家は近く?」
「…誰だよ…?お前…。」

掠れた声に、今まで気付いていなかった喉の渇きを自覚する。

「僕は春日光。怪しい者じゃないよ。こんな暗い路地裏を通ってるのは家までの近道だから。」

微笑を絶やさず話す光の様子を、響はゆっくりと見つめた。
よく見ると、男の高そうなスーツの肩は濡れてしまっている。傘を響のほうに差し出しているからだ。

「清水響だ。」

響は自分の名前を明かした。
光は自分を無理に警察に連れていくような人間ではないと思ったからだ。

「響か。綺麗な名前だね。それで?響、家は近いの?」

言いながら光は響の体をおこして壁にもたれかからせる。

「わからない。ずっと周りも見ないで走ってきたから。」
「じゃあ、一度僕の家に来る?その怪我の手当てぐらいはしてあげられるし、タオルも貸してあげられる。雨も強くなってきたし。どう?」

響は頷いた。光は自分のことを受け入れてくれる。そう信じたかったから。
響は疲れきった足に力をこめようとする、が、力は入らない。

反対に体からはどんどん力が抜けていき、ついに意識は闇へと消えた。

最後に感じたのは、自分を支えてくれる力強い腕だった。


響が目覚めたのは綺麗な家の玄関だった。

「いいタイミングで目覚めたね。」

響を抱きかかえていた光が言った。

「服を着替えないと風邪ひくし、でも勝手に脱がせるのも悪いし、どうしようかと思ってたんだ。」
「別に俺は勝手にしてもらってもよかったけど。」
「この年頃の女の子にしては珍しいこと言うね。何歳?」
「12歳。」
「嘘!大人っぽいね。15ぐらいだと思ってた。」

光は口数の少ない響に次々と話し掛けていたが、響が寒そうに身を震わせたのを見て言った。

「あ、ごめん。寒いよな。風呂、そこだから入って。着替えは僕の貸すから。」

響は言われるままに中に入った。

光への期待は大きくなっていた。
安心感の得られる微笑みと、言動から感じられる優しさを信頼していた。
そして、その信頼に比例して、信頼が裏切られることに対する恐怖は増していった。

響が大きすぎる光の服を身につけて戻ると、リビングの机の上には救急箱と紅茶があった。

「うちの会社で仕入れてる紅茶。美味しいよ。」

光はそう言って響に紅茶をすすめると、ソファーに腰掛けた。
そして、響が紅茶のカップを右手で持つと、左手から手当てをはじめる。

「あのさ。」
「ん、何?」

響が小さく漏らした言葉にも光は反応する。
響はそんな光にイラついているように、そして少し戸惑うように鋭く叫んだ。

「どうしてそんなに優しいんだよ!?赤の他人の俺に!そんなの、お前が俺のこと知らないからだ!俺のこと知ったら、お前も他の奴等みたいに俺を避けるんだろ?それなら…。最初から優しくなんかするなよ!」

光は響の戸惑いを見通したように響の手を優しく握る。

「僕が響に優しくするのは、響が寂しそうだったからだよ。」
「俺が寂しい!?そんなことわかるのよ、お前に!お前に俺の気持ちなをか分かるわけない!」
「わかるよ。僕にもそんな時期があったから。」

怒鳴る響に、光は静かに返事した。

「お前に…?」

響は信じられない顔で光を見る。

「そう。僕には魔力がある。でも、それを理解してくれる人も、受け入れてくれる人もいなかった。ずっと寂しかった。今は仲間がいるけどね。」
「魔力?」

響の問いに光は頷いて、横に置いてあったナイフで手を傷つけた。

滴り落ちる血。

しかし、その傷は瞬時に治った。

「これが僕の能力。響にも、何か不思議な力があるだろう?それが魔力だよ。」

確認する光の言葉に、思い出す枯れた花。
響は、驚きに呆然としたまま頷いた。

「今の会社は、この魔力を使って仕事ができる場所だ。とても良い会社だよ。僕はまだ22歳だから一応アルバイトだけど…。大学を出たら就職することになってる。」

そこで、光は良いことを思いついたというように目を輝かせた。

「そうだ!一度うちの会社に来てみるといい。きっと気に入るよ。」
「俺が…会社に?」

話の展開についていけず、目を白黒させる響に光は微笑んだ。

「そうだよ。この地図の場所だ。」

響は光に渡された紙を見る。
それは、光の家から一番近い駅、会社、光の家が書かれた手書きの地図だった。

「家から近いんだな。」
「うん。あ、そうだ。星座は?」
「は?星座は?」
「そう、星座。」
「水瓶座だけど?」

唐突な光の問いに戸惑いながら答えると、光は嬉しそうに笑った。

「同じだ!じゃあ、うちの会社に来れば同じ部署になれるな。」
「何で?」
「うちの会社は星座で部署を決めるから。」
「冗談だろ?」
「いや、本当だって。」

光の楽しそうな笑いに響もつられて笑う。

そして、一瞬の間をおき、自分で驚いた。
本当に楽しくて笑うのなんて、初めてかと思う程、本当に久しぶりだったのだ。
常に心を占めていた、あのイライラした気持ちは消えていた。

笑みを浮かべる響の隣で光が時計を見る。

「あ、もう4時だ。自分の家、どっちかわかる?」
「ああ、この地図見たらわかった。帰るよ。」

響は、さっきの光が書いた地図を出す。

「じゃあ服とってくる。もう乾いてると思うから。」

光は風呂場のほうに歩いて行った。

響は残っていた紅茶を飲み干すと、手当てされた怪我の後を見る。
そして、気づいた。

「…?何だよこれ。幼稚園児じゃあるまいし、これはないだろ。」

響の視線の先にあるのは、リストバンドのかわりにつけられた、可愛い動物柄の絆創膏。
辺りを見回しても、リストバンドは見当たらなかった。

「親に見つかったらどうするんだよ。」

文句を言いながらも、響の顔に浮かぶのは嬉しそうな笑み。



「駅まで送っていこうか?」

光が心配そうに問う。
響の家は、響の家から一番近い駅でバスに乗って20分のところだった。

「いいよ。この地図があってたら、ちゃんと道わかるし。」

響は笑って、ふざけた調子で言う。

「じゃあ大丈夫だな。はい、これ。響のだろう?」

光が笑って差し出したのは、響のスクールバッグ。

「うわっ、忘れてた。」

響は、鞄のことなど、走っているときから忘れていた。
しかし、無意識にずっと持っていたらしい。

「倒れてた響の横に落ちてたんだ。一応、服と一緒に乾かしたんだけど…。」

響が中を見ると、入れてあった教科書は全滅だった。

「まぁ、どうせ使わないからいいけど。」

響は諦めたように言うと、扉を開けて外に出た。
光も追って外に出る。

「じゃあね。」

光が寂しそうな笑みをうかべて言うと、響は光に背を向け、軽く手を振った。

「またな。」

光は一瞬、驚きに動きを止めた。
そして、階段を下りていく響の背中に、笑って声をかける。

「うん。またね。」

それから光は、響の姿が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。


「『またな。』か。」

笑って、頭上に右腕をかざす。
その手首についているのは、響のリストバンド。

「いつか会えるかな、また。」

入りたいと言っても一般人がすぐに入れてもらえるとは限らない。
黎明の天秤とは、素質が認められなければ入れない組織なのだ。
それに今、水瓶座の部下は充分にいる。
年中、部下を募集しているのは乙女座ぐらいだ。

「まぁ、響なら大丈夫かな。」


「変な奴だったな…。」

響はバスの中で一人、呟いていた。
自分と同じような力持った者がいるとは思っていなかった。

ずっと、自分は孤独だと、思っていた。

「あれ…。これ何だ?」

ふと響が地図の裏を見ると、そこにはメッセージ。

『会社の受け付けで、「春日光の紹介で来ました。フォーマルハウトに通して下さい。」って言って面接を受けること!』

「誰だよ。フォーマルハウトって。」

明らかに日本人ではない名前に、響は顔をしかめる。
人の名前かどうかも怪しい。

響がちゃんと理科の授業に出ていればわかっただろう。
星座好きな先生が昨日、説明していたところだからだ。
水瓶座の星、フォーマルハウトのことを。

(俺は絶対、光の会社の面接に受かってやる。)

響は真剣に、決意した。

ピーンポーン

バスがバス停に止まる。
響はバスを降り、すぐ隣のマンション、自分の家に帰っていく。

「ただいまー。」

扉を開けて中に入ると、母親が出てきた。

「お帰り。あら、何かあったの?楽しそうね。」
「ちょっとね。」

響の笑みに気付いた母親に、響は軽く返事する。

(俺はこれからもここで、偽りの日常を続けていく。家を出られる年になるまで。)

偽りの日常を続けることは、もちろん苦痛だ。
しかし、耐えられない程ではない。

自分のことを理解し、受け入れてくれる人間。
ずっと探していた人間を、見つけたのだから。

(春日光。)

心の中で、そっと呟く。

明日は、地図の会社に行ってみよう。
それがいいことかどうかはわからない。
でも、そこに行けばきっと、光に会えるから。

(魔力を使って働くって、どんな会社なんだ?)

響は楽しげに首を傾げる。
まさか、世界を滅ぼそうとする組織だとは思わずに。

響がその事実を知って驚くのは翌日。

光と再会するのは2日後。

そして、2人が恋人となるのは、その3ヵ月後のことだった。




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© 睦月雨兎