少女と僕と雨と傘




ある、雨の日のことだった。

もうとっくに梅雨の季節は過ぎたはずの時期。

そう毎日雨が降るわけでもないのに、今日みたいな傘を持っていない日に限って降られるなんて、やっぱり僕は運が悪いのだろう。

いつもと同じ帰り道。
いつもと同じ風景。

幸いまだ小雨である雨に打たれながら、のんびり帰宅しようと歩いていたときだ。

見慣れた風景の中に、一枚の見慣れない広告を見つけた。
別に今朝無かった広告が、帰りには貼ってあることなどよくあるのだが、その広告は異彩を放っていたのだ。


     なんでも屋
波の音 太陽の光 夜の闇の欠片
なんでも売ります。
お支払いは貴方のお話で。


「馬鹿らしい。」

思ったことが、口からそのまま零れ落ちた。
別に誰が見ているわけでもないのだし、かまわないだろう。

僕は、こういう物を信じない。
どうせ行ってみたって、怪しい占いの店とか、そういうくだらない場所なのだ。
なんでも屋、という適当な名前も癪に障る。

僕が広告をはがそうと、手をかけたときだった。

ちりん。

後ろから、鈴の音。

「お客様、何をお求めですか?」

幼いのか、大人びているのか、それさえもわからない。
ただ、透き通った不思議な声音が鈴の音と共に聞こえた。

周囲には、今まで誰もいなかったはず。

僕は、驚いて後ろを振り向いた。

そこには、「少女」が立っていた。

「少女」というのは、僕が最初に見た印象だ。

見た目は少女。

しかし、二つに結った金色の髪に緑色の瞳という日本人離れした容姿。
そして、裾を膝まで切った鮮やかな朱色の着物に水玉の傘、首には鈴。

この全ての要素は、声と同じ不思議な雰囲気を彼女に与えていた。

年齢不詳。

それが、この「少女」には相応しい言葉だろう。

とりあえず、先程の言葉から察するに「少女」は広告の店の者らしかった。

「何をお求めですか?」

「少女」が再び僕に問う。

僕は何も求めてなどいない。ただ、「少女」が勝手に出てきただけだ。
もちろん、僕は「何も」と答えるはずだった。

しかし、僕の唇が紡いだのは別の言葉。

「傘が、欲しいんです。」
「どのような傘でしょうか?」
「見ているだけで泣いてしまうような、悲しい色の傘を。」
「わかりました。」

僕の意味不明な注文にも動じず、頷く「少女」。

意味がわからなかった。
この「少女」も、僕が言った言葉も。

「店で話を聞きます。ついて来てください。」

僕はとりあえず「少女」の言うとおりにすることにした。

僕は今日、傘を持っていない。

色なんかどうでもいいけれど、傘が貰えるというならついていくのもいいかもしれないと思った。

「少女」の首につけた鈴の音にあわせて、彼女の背中でツインテールが揺れていた。




少し小さな、普通の店。

その認識は、中に入った瞬間に間違っていたことがわかった。

大きな机と椅子。
別の部屋に続いているのであろう、小さな扉がひとつ。
そして人の力では開けることが不可能だと予想される大きな扉がひとつ。

その扉は、「少女」よりも、僕よりも大きかった。
店の、2階建てという外見を遥かに凌駕した大きさ。

僕が、そんなことを考えながら店の中を見ているうちに「少女」は小さな扉をくぐって別の部屋に行く。
やがて、戻ってきた「少女」の手には真っ白な傘が握られていた。

「行きましょう。」

どこに行くのかはわからなかった。
しかし、僕の首は、僕の意思に関係なく頷き、返事をする。

「はい。」

「少女」は手に持った傘で大きな扉をこつん、と軽く叩いた。

大きな扉は軋みながら、開いた。


そこからは、ただ夢のような光景だった。

扉の中はただ一面が霧だった。

しかし、「少女」が傘を振ると霧がはれる。

そこに居たのは、女の子。

僕が傍にいることにも気づかず、5歳ぐらいだと推定される女の子は泣き続ける。
横には、腕の千切れた人形。

「少女」がその女の子の横に傘を置いた。

ぽつり、と涙が一滴、傘に染み込む。

その瞬間、目の前の景色は変わった。

転んでしまったのか、血の出た膝を抱えて泣き続ける男の子。

先程と同じように傘を差し出す「少女」

傘に、涙が染み込む。


同じ作業を繰り返す、「少女」
無言で作業を見つめる、僕。


どれほどの涙を見ただろう。


女の子・男の子・少年・少女・男性・女性・老人
様々な人達の、様々な 
 涙 涙 涙 涙


怪我をした男の子 
友達と喧嘩した少女
子供を事故で亡くした親


そして最後に出てきたのは
幼い 「僕」だった。

交通事故で両親を亡くし、泣きじゃくる「僕」

封印した、幼い日の記憶。


気がつくと、僕と「少女」は店の椅子に座っていた。

「どうぞ」

声とともに差し出されるのは傘。

僕の注文どおりの、悲しい色の傘。
それは、何色とも表現できない。
青であり、緑であり、赤であり、黄色であり、全ての色だった。

当然だ。

怒り、悔しさ、悲しさ、様々な涙の記憶が染み込んだ傘なのだから。

「何の話をすればいいですか?」

お支払いは貴方のお話で。

広告に書いてあった言葉だ。

この店を疑う気持ちは、欠片も残っていなかった。
僕の問いに「少女」は答える。

「この傘が欲しかった訳を。」

僕は話した。両親の死の話を。

思い出した、幼い日の記憶の話を。

「僕は、両親がいません。それは、僕にとって当然のことでした。
小さいときからそうでしたから。だから、忘れていたんです。」

僕は、一息いれて続けた。


「今日は、両親の命日です。」


それは、自分にとって当然のことだったはずなのに。
何故か、「少女」に話そうとすると涙が溢れそうで。

僕は必死で何も無い顔を装った。

「少女」は話の続きを促すように首を傾げる。

鈴が、ちりん、と鳴った。

その、悲しげな鈴の音に、僕はまた泣きそうになる。

「きっと僕は、空に泣いて欲しかったのです。
  孤児院には僕と一緒に泣いてくれる人なんていませんでしたから。」


空でも良いから、僕と一緒に泣いて。


そんな幼い日の願いは、今まで叶えられなかった。

何故か、両親の命日は憎らしいほど晴ればかり。
僕はいつのまにか、その小さな願いを諦めてしまっていたのだ。


「料金は確かに頂きました。またのお越しをお待ちしています。」

しっかりと頷いた「少女」に見送られて僕は店を出た。

空は、もう晴れていた。
でも、僕はどうすればいいかわかっている。

僕は、さっきもらったばかりの傘を差す。

すると、すぐに雨が降り始めた。

むせび泣くような、風の音と共に。

悲しい色の傘を見ていると、何故だか無性に泣きたくなった。

僕は、声を上げて泣いた。

大丈夫。
見ている者にも、きっと僕の頬を濡らすものが何かはわからない。
もう傘を差す意味など無い程に、僕の体は雨を含む風によって濡らされているから。

線香を供えるとか、そういう定番なことはしてやらない。
僕を置いて行ってしまった両親が悪いのだ。

ただ、僕は生まれて初めて、心の底から泣いた。




翌日、僕は店の前に立っていた。
「なんでも屋」というふざけた名前の店の前に。

ちりん。

あの日と同じように、後ろで鈴の音が鳴った。

「今日は何をお求めですか?」

首を傾げる「少女」の仕草にあわせて軽やかに鳴る鈴。

楽しげに揺れるツインテールの髪。

「いえ、少し喋りたい気分だったものですから。」

僕の言葉に「少女」はにっこり笑って扉を指差した。

「どうぞ、入ってください。美味しい紅茶を見つけたんです。一緒に飲みましょう。」
「はい。」

僕は、頷くと扉に向かって歩き出す。

少しぐらい、外見と内装が違うからといってどうということもない。
面白くていいじゃないか。

自分でおかしくなるほどの昨日との心境の変化に、僕は思わず笑ってしまった。
「少女」も、僕の考えを見抜いたかのように、一緒に笑う。


きっと明日も、僕はこの店に来るだろう。

その次の日も、その次の日も、1年後も、2年後も。

前を歩く「少女」の金髪が日光にきらりと輝いた。

ちりん、と鈴の音が青空に響く。

楽しい音だと僕は思った。






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© 睦月雨兎