雨恋




しとしとと、雨の音がする。

僕の席は窓際。
開けたままの窓からは、風と共に水滴が吹き込んできた。

僕は、雨が好きだ。

いや、正確に言えば雨の日が好きだ。

木々の濡れる様子や、濡れたアスファルトの匂い。姿を映す、水溜りとか。
そういうのが好きってわけじゃない。

僕が雨を好きな理由、それは―――。

「起立、礼」

号令が終わると同時に、僕は教室を飛び出していた、

僕が急いでいる理由を知っている級友の、ニヤニヤした顔に腹が立つ。
しかし、そいつを殴りに行く時間は無かった。


「今、帰りですか?」

自転車置き場で困った顔をして立っている上級生。
彼女が視界に入ると、僕は乱れた呼吸を整えて声をかけた。

「あ、久し振りー。」

彼女は僕の問いには答えず、ヒラヒラと手を振る。
僕は、溜め息をついて傘を差し出した。

「入ったらどうですか。どうせ、また傘忘れたんでしょう?」
「ありがとー。でも、忘れたわけじゃないよ?」

彼女は僕の傘に入ると、頬を膨らませて続ける。

「何か傘持つのって嫌いなんだよね。だから、あえて置いてくるの。」
「そんなこと言うから、いつも雨の日困るんですよ。」
「いいじゃーん。結局、いつも君が入れてくれるし。」

僕は、内心の嬉しさを押し隠し、また溜め息をついて見せた。
僕が初めて彼女に会ったのは、数ヶ月前の雨の日のこと。



(雨か。鬱陶しいなぁ…。)

そう考えつつのんびり歩いていたときだ。
雨に濡れながら、1人で歩いている彼女を見たのは。

急ぐでもなく、ただぼんやりと雨の中を歩く彼女をさすがに見過ごすことはできず、僕は声をかけた。

「大丈夫ですか?」と。

すると、彼女は振り向いて、笑顔で言った。

「うん、ありがとう。傘を忘れちゃっただけだから大丈夫。」

ひどい顔だった。
泣きはらした目は真っ赤で、顔はぐちゃぐちゃ。

でも。

それでも、彼女は懸命に笑っていた。

天邪鬼な僕が意地悪なことを言えないほど、懸命に。

「もう、傘差さないで帰っちゃだめですよ。風邪ひきますから。」

気づくと、僕は僕らしくない言葉を彼女にかけていた。

「…うん。」

彼女は涙をぬぐうと、そう小さく頷いた。

あの日から一度も触れたことの無い話題ではあるけれど、それは僕達が出会った日。

後から噂で聞いた話によると、あれは彼氏に振られた日だったのだとか。
はっきり聞いたことは無いのだが、きっと彼女はまだ忘れられないのだろう。

そいつのことを話すとき、彼女はとても楽しそうに笑って、最後に少し悲しい顔をするから。


(早く忘れてしまえばいいのに。)

僕は時々、そう思ってイライラする。

(僕が好きでもない相手に、毎回こう優しくすると思ってるわけ?)

彼女が僕のことをどう思っているかは、本当に全くわからない。

僕の幼馴染である級友によると、彼女は本当に傘を持つのが嫌いなんだそうだ。

朝から雨が降っている日はさすがにさしてくるものの、午後から降る日は絶対に持ってこない。
つまり、彼女は僕と帰るために傘を忘れているわけではない、ということだ。

本当に腹が立ってきて彼女の顔を軽く睨むように見上げると、彼女は何も考えていなさそうな顔でにっこり笑った。

「馬鹿っぽいですよ。」

思わず呟くと、彼女は頬を膨らませて僕の肩を押す。
予想以上に強い力に僕はよろめき、傘の外に体が出た。

「何よー。あいつにはそんなこと言われたことないんだからー。」

ほら、また。

いつまでたっても変わらない、彼氏への「あいつ」という称号。
いつまでたっても変わらない、僕への「君」という他人行儀な呼び方。

「どうしたの?」

さすがにおかしいと思ったのだろう。
彼女に押されたまま傘の外で雨に濡れている僕の様子を、彼女はそっと伺う。

「別に。何でも無いですよ。」

僕は言うと、彼女に傘を押し付けた。

「どうぞ。僕、こっちですから。」
「え?でも…。」

いつも、僕は彼女を家まで送ってから帰る。
こんな風に途中で傘を渡して帰るなんて初めてだ。

「ちょっと用事思い出したんで先に帰ります。傘は明日返してください。」
「う、うん…。」

僕の背中に、彼女が不可解な顔をしているのがわかる。

「あ、あの、また明日ね!」

とにかく声をかけようと思ったのだろう。
彼女は、そう声をかけてきた。

それは、普通の挨拶。

でも、僕達にとっては初めての。

明日会うかどうか、雨が降るかどうかなんて、わからないから。

「はい。また明日。」


その言葉は、確実な約束の証。


嬉しさと、悲しさ。
よく分からない感情が入り混じって、涙が出てくる。

元々、僕は感情とか、そういうことについて考えるのは嫌いなのに。


さっき、別れの挨拶をしたときの僕は、上手く笑えていただろうか。

(少なくとも、あの日の君よりは上手く笑えたから。)

心の中で、そう言い訳をしてみる。

泣きそうで、雨に濡れて、必死に感情をこらえた笑顔。
彼女があれを笑顔と見てくれたかどうかはわからないけれど。



明日は、晴れるといい。

僕と彼女が、雨だからという以外の理由で会う初めての日だから。


明後日は、雨だといい。
きっと僕は、雨でもないのに「一緒に帰りましょう」なんて誘い方できないから。

だから。

明後日も、その先もずっと、雨だといい。


そう考えて気付いた。

きっと、僕がこんなに感傷的になっているのは、梅雨が終わってしまうからなのだ。

梅雨が終わって、暑い、夏が来る。

彼女が大好きな、晴れの季節。


彼女に会える日が少なくなってしまうから、感傷的になっているだけだ。
どうせ、夏休みになってしまえば会うことなんてできないのに。


感情を抑えられない自分に腹が立つ。
僕はもっと冷静で、感情を制御できる人間だったはずなのに。


仕方ない。
僕は彼女のことが相当好きなようだから。


僕は、雨粒を顔に受けながらも空を仰ぎ見る。
そして、信じてもいない神に願った。
「明日、晴れますように―――………」





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© 睦月雨兎