霞んだ窓の外




「これから2週間、仕事を一緒にしてもらう。夕希だ。」

勤め先の上司からそう紹介されたとき、俺は彼のことをどう思ったのだろう。
涼やかな空色の瞳が窓越しに曇った空を、忌々しげに睨んだ。

それだけがやけに印象に残っている。




「今日は曇りだね。」

俺の隣でカチャカチャとパソコンのキーボードを叩いていた夕希が、そう唐突に声をかけてきた。

俺達が共に仕事をするようになって3日。
この少年は人見知りをしないタイプのようで、初日から親しげに声をかけてきていた。

だから、こうして話しかけてくるのはおかしいことではない。

ただ、またあの時の目をしているのか、と気になって。
俺は、見ていたモニターの映像を停止させた。

「…嫌いなのか。」

夕希は空を睨んでいた目を軽く瞠り、俺に向ける。

「言ったことないよね?どうして知ってるの。」
「3日前に」
「3日前…初めて会った日?」

夕希の言葉に俺は頷き、続ける。

「あのとき…空を、睨んでいただろう。」

夕希は何を考えているのか俯き、顔を上げて笑った。

それは、複雑な笑顔。
寂しさと、自嘲と、少しの喜び。そんなものが入り混じった表情。

そして、夕希は口を開いた。

「零って、何にも興味が無いようで、意外とよく見てるんだね。」

俺は何も言わずに、言葉の続きを待つ。
夕希は俺の目をまっすぐ見つめ、溜め息をつくと頷いた。

「…うん。曇りは、嫌いだ。」
「そうか。」

俺は頷いてまたモニターをつけると、夕希は再び驚いたように俺を見た。

「理由とか…聞かないの?」
「別に…聞いて欲しいのなら。」

モニターにチラチラと映る男の行動をじっと見る俺。
夕希はそんな俺を横目でじっと見つめると、ふと目を逸らして窓の外を見た。

「曇りはさ…泣きそうなのに、必死で堪えてるみたいだと思わない?」
「…。」

俺は返事をしない。いや、できなかった。
俺はそういう風に考えたことはなく、そう思うことは無いだろうと思った。

夕希は俺が聞いているかも確かめず、独り言のように続ける。

「だから嫌いなんだ。泣きたいのなら、無理に我慢せずに泣いてしまえばいいのに。
 まるで僕みたいで…イライラする。」

そう言い終えると、夕希は一瞬膝に目を伏せて、パソコンの画面に視線を戻す。
しばらく放置したためにスタンバイの状態になっていた画面を夕希が戻してしばらくすると、部屋の中にはカチャカチャという音だけが部屋に響いた。

やがて見終わったテープを、俺は静かに取り替える。
そして、モニターに映る男の行動に怪しいところがないかじっと見つめ、気付いたことを書き留める。

これが、俺の仕事。
俺達の所属している組織は公式な組織ではない。つまり、これは口にできるような仕事ではない。
俺が見ている映像も隠し撮りされたもので、夕希は様々なパソコンにハッキングを繰り返している。
俺は別に、この仕事に何も感じてはいない。

世間的に悪いことだと理解はしていても、悪という概念をいまいち理解していないせいか自分が悪いのだとは思えない。
しかし、同じ組織の連中が皆そうだと思っているわけではない。
自分の血に汚れた手を心の底から嫌悪している者を、何人も知っている。

一般人には手に入らない薬に溺れ、壊れていった者。

人を殺めたその手で自分の息を止めた者。

日々殺されることを願いつつ、仕事を続ける者。

自分のように、何も思わず参加している者。

裏の世界で生き、誰かを手にかけることを喜ぶ者。

様々な者の中で、嫌悪する者の割合が一番多かった。

だから、きっと夕希もそうなのだろうと思った。
俺にはきっと一生理解できない感情だろう。
しかし、俺には関係のないことだ。
俺と夕希は他人で、理由を聞く気もないし、興味もない。

ふと夕希の嫌いな曇り空を見ておこうと思い、窓の外に目をやる。すると。

「…雨だ。」

俺は思わず口に出して呟いた。

夕希が勢いよく窓の方を向く。
そして、微笑んで言った。

「雨は、好きだよ。」
「そうか。」

俺は短く相槌を打つ。
夕希は聞いていたのかいなかったのか、呟くように続けた。

「だって、我慢しないから。ただ、泣きたいときだけ泣いてるから。」

今にも泣き出しそうな微笑。

―――お前も、ああやって泣きたいのか。

そんな思いが胸の内に浮かぶ。

雨に霞んだ窓の外を見つめる空色の瞳が、涙をこぼすことは、無かった。




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© 睦月雨兎